<小説>
犬憑きさん 上巻
発行日:2009年4月17日 初版刊行
著者:唐辺葉介
イラスト:Tiv
装丁・デザイン:山口拓三(GAROWA GRAPHICO)
担当編集:寺内智之
発行人:田口浩司
発行所:株式会社スクウェア・エニックス
<考察>
「むしろ俺からすれば扱う側が見えてる方がおかしいね。ああいうものは、まともな人間が見るものじゃない」犬神を持つ少女(楠瀬歩)と、管狐を持つ少女(有賀真琴)に、坊主(御門智徳)が言う。
反論しようと真琴は口を開きかけたが、御門がその態度を見てニヤリと笑ったので結局何も言わなかった。
そして御門は続ける。
「いろんな客を見てきたが、術がうまく効くやつもいれば、全然かからないやつもたまにはいる。それを見てて思うんだが、かかるヤツってのは最初から何かに取り憑かれてるんだよ。それは幽霊とは限らないと思うね。妄執だとか、絶望だとかさ。ーーあんたらだってそうだぜ。犬なり狐なりを使役してるだけだと思ってるかもしれないが、実際は自分の何割かを浸食されているはずさ。取り憑かれてるんだぜ? 本当に技術として冷静な頭でコントロール出来ているのなら、そんなものが見えるなんておかしい話さ」
(P321,15行目~322,8行目を引用)
少女たちはそれぞれ怪異である犬神と管狐が見えており、それを使役して力を発揮することができる。
御門は反魂術という死者を呼び起こす特殊な力があるが、彼自身は呼び出した死者を見ることが出来ない。
特殊能力の使い手は、普通自分の特殊能力が見えていて、それがどう動くか確認し、目標に対して攻撃したり使役したりする。
ファイアーボールという力があったとする。それはまず、手の中に火の玉を作り出し、目標に向かって投げつける能力である。
御門はこのファイアーボールの過程が見えていることをおかしいと考えている。
普通に考えれば、特殊能力者が特殊能力を使うところが見えていても何もおかしくはないと思う。
御門の言うことが正常だとすると、本来ファイアーボールを使う人は、目に見えない気のようなものを練り、それを相手に投げつけ、発火する力ということになる。
なんというか、それは別のパイロキネシスという能力になってしまいそうなのだが、考えてみれば、世の中にある特殊能力のテレパシーや、テレキネシスなどはその仮定を見ることが出来ず、相手に情報を伝える、空中にものが浮かぶなど、結果だけが残る。
特殊能力の過程が見えるのは漫画やアニメ、最近では映画にも出てくるが、能力がわかりやすくする表現のためにあるのだが、実際に自分が特殊能力を持ったとして、特殊能力の過程が見えることと、見えないこと、どちらがいいかと言われれば後者のような気がする。
特殊能力の過程を見てしまったら無駄に考え込んでしまうことになる。
火の玉を生成することにかかる時間、目標までのスピードを考えてしまい、焦りや、その行動を見たり、無駄な動きが隙になるだろう。それを相手に悟られてしまい、避けられたり、やられたりする。
過程が見えなければ、その分余計な情報が入らず、相手に隙を与えないのではないだろうか。
予備動作も少なくなり、また見えないからこそ、よくわからないものとして捉え、特殊能力に過信しない。また、能力がよくわからないために、自分自身を一流に鍛え上げることもするだろう。
実用的に考えれば、余計なものは見えない方がいい。
見えてしまえば、その分だけ余分に力を使ってしまって、疲れてしまう。
だが、無駄なことを嫌う私は、怪異が見えてしまう少女たちにも意味を与えたい。
御門の言うことを今の世界に当てはめると、余計なものを見えず社会に適応している人と、余計なものが見てしまって社会に適応出来ない人のように思える。
見なくてもいいものを見ない方が、今の世界に適応して生活していける。たくさんの悩みを抱えることなく、少ないことに集中して頑張れる。
少女たちのように見なくてもいいものが見えてしまえば、今の世界で疲れてしまうだろう。
それは細かい言葉に含まれた意味や、抑揚、声色、リズムなどで、相手のことがわかってしまい、ちょっとした動作では全部見透かしてしまう。
そうなれば、人の嫌なところばかり目に付いてしまい、世の中に絶望してしまうことになるだろう。
だけど、見える人も見たくて見ているわけではないだろう。
その人はもっと鈍感になりたいのではないだろうか。
誰でも小さなことに神経質になって、精神を病みたくはない。
けれど、それを治そうと思っても難しい。
頭の中で感じないようにしても、勝手に体が感じ取って脳に伝えてしまう。
もう、感じ取る器官を潰すしか、見えない世界にならないのかと思う。
けど、そんなことは怖くて出来ないし、人生に絶望して生きるのも、自分から死んで消えることも簡単に出来ることではない。
見たくないものを見ながらも、生きていくしかない。
そのためにはどういったことをすればいいのだろう。
なるべく見たくないものを見ないようにするか、見えても大丈夫なくらい精神面を強くするか、他にも考えが浮かぶかもしれない。
だが、逆に言えば見なくていいものが見えてしまうと言うことは、人よりも多くのものを感じ取れるのではないだろうか。
社会の主流から外れるかもしれないが、幸いなことに人の住む社会は完全な弱肉強食ではなく、外れた人でも生きていくすべはある。
ただ、それを探すのは簡単ではないだろう。
だけど、絶望して死んでしまう必要はないように思う。
私自身答えを出せずにいるが、いずれ近いうちにわかるような気がする。
犬神、管狐が見えてしまう少女たちは、自分の問題にどう始末をつけるのだろう。
物語の終わりに結末がわかるかもしれない。
問題は解決するのか、それとも問題と一生付き合い続けなければいけないのか。
それとも別の違った展開に移るのか。
少女たちの最後に注目したい。
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