2016年4月16日土曜日

電気サーカス Part1(著者:唐辺葉介、イラスト:トミイマサコ)


<小説>
電気サーカス
発行日:2013年11月22日 初版刊行
著者:唐辺葉介
絵・題字:トミイマサコ
カバー・本文デザイン:佐草由規子
発行者:塚田正晃
プロデュース:アスキー・メディアワークス
発行:株式会社KADOKAWA

<感想>

電気サーカスを読み終わると憂鬱になった。
唐辺葉介の小説の中で、電気サーカスが、もっとも読者と距離的に近いように感じた。

今までの小説はどこか遠くで起こっている出来事で、それを眺めているような気分で読んでいた。
今回の電気サーカスの書き方は自伝的というか、より日常に迫まったような書き方をしているため、そのように感じたのだろう。

世界を俯瞰するのではなく、没入していくように本の世界に入っていく。

ただでさえ切っ先が鋭いと感じている、唐辺葉介の小説なのだが、距離の近くなった電気サーカスに至っては精神的ダメージが更に増して、個々のトラウマを攻撃する。それでも読みたいと思うのは、マゾヒストか、物好きか、唐辺葉介に共感した者のように思える。それにしても、自分の言葉を、よくここまで読む人に伝えられるな、と羨ましく思う。私は頭の中が混沌としていて、言いたいことや書きたいことを整理するのに手間取り、言葉にしたり、文にしたりするのが大変なわけだが、この人はすぐに言葉にしたり書いたりできる人に思う。自然にこんなことができるようで羨ましい。実際には苦労しているのだろうか、そう思えないのだが。

話を戻す。
唐辺葉介の作品に共感している私なのだが、今回の主人公もかなり自分と似ている。

電気サーカスは自分にとってバッドエンドのように感じた。人それぞれによって終わり方の感想は様々だろうけど、私はそうだった。まるで主人公の人生は、自分の人生のように思ってしまい、これから何をどうこうしたところでこう終わってしまうと落胆する。精神病院って落ち着けるんだと、アドバイスを受け取りながら、眠りにつくと小説内にある成分が無意識に頭の中で回り、憂鬱な気分にさせる。
このまま目を閉じて死んでしまえばいいのに、と思うのだが、翌朝を迎えてしまう。
それに後悔するわけでもなく、今朝になって電気サーカスの残り香のようなものは消え、頭で冷静に判断できるようになっている。なんともまあ、眠れば人が変わったように気分が違うので、自分自身に嫌になる。こう、一つのことを貫き通すような心を持って欲しい。もっとも、そんなことになったら自殺をしてもうこの世にいないことが予想できるわけだが、どっちが良いのか、私にとってよくわからない。

話をまた戻す。
電気サーカスは主人公に共感してしまえば、憂鬱になること間違いない。だが、私たちは無意識に自分の見ているものは選別して排除したり、過剰に強調したりするため、必ずしも電気サーカスの主人公が自分自身ではないと、今朝気付かされた。主人公に共感できない部分を探し、自分と照らし併せて別人だと思えば、小説ほど現実に絶望しなくて済むだろう。もっとも、主人公と自分の似ている部分が多すぎて考えが抜けなかったり、主人公と自分を比較して、主人公よりも劣った部分を見つけより絶望することもある。なんとも救いがない。

けれど、そんな気持ちになっても唐辺葉介の作品が読みたいのは、なんだかよくわからない感情を、言葉で表し代弁してくれるからだろう。読んだ人の、周囲から理解されない悩みの糸口を作ってくれる。そう思うとカウンセラーのような役割を果たしているのかもしれない。もっとも、どういう方向に向かえばいいのか教えてくれるわけではなく、答えがないのが答えという結論に達して、出入り口のないところに閉じ込められてしまうわけだが。しかし、絶望を知る希望があるじゃないかとの言葉通り、それでも唐辺葉介の話を読みたいと思って、買ってしまうのだろう。その絶望を知ったことで希望を見つけ出せる可能性を探し出したいからかもしれない。

電気サーカスによって、更に唐辺葉介についてよくわかったような気がする。自伝的とアマゾンレビューで書かれた通り、変な部分で物凄い細かい描写がされているため、おそらくこのシーンのこのことは本当にあったのだろうと推察できる。もしかして、あの作品を書き始めたのは、というファンサービスにとれそうな部分まであった。

電気サーカスは唐辺葉介の設定資料のようなものに感じる。最初に読むのはふさわしくないかなといった感じで、他の作品から読むのが良いと思う。できればゲームの方にも手を出そう。といっても私には購入していないものもあって、全部を語ることはできないわけだが。それにゲームに至っては瀬戸口廉也名前が違うのでちゃんと調べよう(笑)

小説の出来事をまとめて唐辺葉介の人物像を作るのも悪くないなと思ったのだが、誹謗中傷とも捉えかねないないようになりそうなので自重する。

では、何が書きたいかと言うと、増岡であり、真赤と呼ばれた彼女についてだ。
(以下Part2に続く)

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