<あらすじ>
村の娼婦だった母の子として生まれたトビアス。ある事件を契機に名前を変え、戦争孤児を装って国境を越えた彼は、異邦にて工場労働者となる。灰色の作業着を身につけ、来る日も来る日も単調な作業に明け暮れるトビアスのみじめな人生に残された最後の希望は、彼の夢想のなかにだけ存在する女リーヌと出会うこと……。
<トビアスについて~サンドールに改名>
トビアスは盗人、乞食、村の娼婦である母の息子だ。彼は普通の子供たちと同じような生活なんてできず、周囲の人からは娼婦の家族として差別され、生活の基盤である唯一の母親は近くの部屋で男たちと交じわっている。不安定な生活を送り続けた結果、体は年が経つに連れて成長しているが、心は子供のまま止まっているような短絡的な人間になってしまう。
トビアスの精神状態は受け身であり、何も変わらない毎日にどうでもよくなっていた。今の環境を強制的に変えること(家出など)もできたが、それをする力はなかった。普通の人たちを見て、鬱憤だけが溜まっていくが、鬱状態で行動する気力はない。ある日、父親が小学校の教師で母親とは違う女性と結婚し良い生活を送っているにも関わらず、母親と交わっていることを知ると、気持ちが鬱から躁に転じて二人を肉切り包丁で刺してしまう。父親の行いが悪だと短絡的に正義を実行する、また娼婦の母親への憎悪が重なったのもそうなった原因かもしれない。
二人とも善良な人とは言えないが、父親は母から遠ざけ学校に進学させ豊かな生活を送れるように心配していた。母親は一緒に暮らしたいと望み、愛していた。
もしも、心が少しでも成長していたら、二人の気持ちを理解し、危害を加えることはなかっただろう。大人になれなかった彼の解決策は環境を破壊することしかなかった。
その後、トビアスは異邦の地へ行く。人間が生きていくためにはお金が必要で、そのためには仕事をしなければいけなかった。子供の心を持ち、さらに娼婦の家族として不当な扱いをされた、大人たちの社会に人一倍苦しむことになる。
母と暮らした苦しい生活から、また違った大人の社会の苦しい生活に移っていく。このままではいずれ潰れてしまうと思い、彼は対抗策として自分の世界を作り上げることになった。
忌々しいトビアスという名前を捨て、父親のサンドールを名乗るようになる。それは母親を寝取った意味で復讐、それとも寝取ったことと同じような、二人を刺した悪行と照らし、罪人としてその名前にしたのかもしれない。名前を変えることで自分を消し去ることができたが、それだけでは物足りなかった。
身の回りで唯一汚れていなかったカロリーヌを元に、幻想世界で理想の女リーヌを作り上げる。彼の生活は幻想と現実を行き来して正気を保つこととなった。
<幻想と現実>
この話では幻想と現実が混ざっている。幻想では慎重な行動をとるのだが、現実ではヨランドや、ヴィラ、そして本物のカロリーヌなどの様々な女性と接していく大胆な行動をとる。まるで幻想と現実が逆転したように思う。彼にとって本当に生きている世界は幻想であり、現実は夢のように思っているのだろう。読んでいくと、どこか無機的というか、まるでもののように現実の女性たちを見ている気がする。それは彼女たちを全く愛していないことを感じさせる。
彼が愛しているのは幻想のリーヌだけであり、現実の女性たちは彼が勝手に当てはめては失望する出来損ないの人形のような存在に思える。幻想を補完するための材料のようなのだ。
<死んでいった故郷の亡命者と主人公の違い>
故郷からの亡命者は母国を愛し、やむおえず亡命した人たちなのだろう。彼らは亡命国で馴染むことができず、孤独になっている。鬱ぎきった気持ちが拠り所もなく爆発して死んでしまう。
話の中で居酒屋のボーイが主人公に言う。と主人公は皮肉の混じったジョークを言う。あっけらかんとしている様はそんな悩み程度で死んでしまうことに軽蔑しているようだ。他の亡命者たちの悩みに比べて、彼の持つ闇は大きく深いことを感じさせる。
「あんたがた外国人ときたら、年がら年中花輪のために金集めをやってる。年がら年中葬式をやってる」
主人公は答える。
「わたしらなりに楽しんでるのさ」
<昨日という題名>
昨日という題名について、私は過去と捉えた。じゃあ、タイトルを過去にすればいいんじゃないのと思われるかもしれないが、過去よりも昨日という時間を限定された言葉の方がより親しみやすく、主人公の狭い世界を舞台にした話に合っているからこのタイトルになったのだと思う。
年を経てよく聞くようになったことがある。
「あの頃は最悪だったけど、良い経験になった」と自分の過去を美化することだ。
その時の自分のトラウマをまるで忘れてしまったように思う。本人からしたら「忘れていない! 失礼だ!」と言われかねないが、当時と比べたらその記憶は少し朧気になり柔らかく受け取れるのではないだろうか。
変えることのできない過去をいつまでもネガティブに考えていたら前に進めないから、人間の構造上、時が経つと前向きになるようにできているのかもしれない。
それは嫌な過去を持つ主人公も同じで、時間が経つにつれて記憶は薄らいでいき、時には脚色され、悪いことが良いことに代わってしまったのだろう。もしくは、この昨日というのはトビアスではなく、サンドールのことなのかもしれない。サンドールとしての過去はいくらでも捏造することができ、昨日は素晴らしかったと考えることもできる。同じようなので言えば幻想世界にいる主人公も当てはまる。
どっちにしろ、この昨日という題名は、私にとって前向きなものに感じた。
<昨日から今日、明日。そしてモノを書く>
主人公は昨日(過去)の関心が強いが、逆に今日(現在)、明日(未来)をどうでもよく思っていそうで気になる。現在の生活に満足しているようには思えないし、カロリーヌに語った大作家になるという夢も、現実的にそうならないことも多いのは確かだが、話している主人公自身もそうならないことをわかっているように諦めているのではないか。
作家になるとか、書きたいから書くとか、思考が一転二転して支離滅裂になっている。おそらく彼にとって文章を書く行為は、過去の呼び起こしに過ぎない。つまり、物書きは良き未来を目指しているのではなく、過去のためにしている。ここまで過去に固執した人間は見たことがない。
<秘密の意味>
普通の人とトビアスに身分の差別があったが、サンドールに改名したあとも、その劣等感は続いている。しかし、カロリーヌを見つけ、一緒に過ごすうちに(現在が)とても幸せだと言った。それはカロリーヌと過ごす日々が幸せなのではなく、カロリーヌの人生を根本から変えてしまうほどの秘密を知っているからだと思う。今まで虐げられてきた普通の人より優位に立つことがが幸せなのだ。もしそうだとしたら、かなり性格のねじ曲がった人間ではないだろうか。
<話の終わり>
主人公はヨランドと結婚し、二人の子供と暮らし、もの書きをやめる、と書かれているが、その通りだと信用することができない。彼は現実でそんな行動をとることはできず、子供は嫌いなはずで、そんな彼がリーヌ、トビアスと名付けて育てようと思うことがあるのだろうか。
もし本当だとしても、彼らの家族は最終的に幸せになれるとは思えない。それでも可能性は低いと思うが、主人公が社会に適応しヨランドに答えるように、模範的な父親になることもあるかもしれない。
私が思うに、主人公はそんな最後を遂げず、全て嘘で塗り固めたあと、死んでしまったのではないだろうか。
美人の娼婦の息子で、おそらく彼は美形の顔をしているのだろう。女にモテるのもわからなくないが、彼の自滅型の性格を見抜ける人がいたかもしれない。
付き合い始めは良いが、関係は長く続きそうにない、彼は結局孤独のまま最後を迎えたと決めつけたくなる。
<感想>
読み始め、幻想と現実が混じり(良い意味でも悪い意味でも)真意を読みとりにくいと思った。読む人それぞれによって受け取り方の変わる部分が出てきて面白そう。読んだ人同士で話をすることで、より深く話を知ることができるんじゃないかな。面白いか面白くないかは別として、とても興味深い本だと思ったが、記事を書いていくうちに不思議な魅力が出てきて驚かされた。もっとアゴタ・クリストフの本を読み、彼女の話を考察していきたい。
余談だが、私の好きな作家、唐辺葉介の『PSYCHE』に傾向が似ていると感じたが、内容が思い出せない(笑)。今度『PSYCHE』の記事を書く時に比較できたらな、と個人的に思う。
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